読み書き引きこもり

書く練習をかねて。

なぜ、男の子のあいだで、自転車に乗れないとバカにされるのか?

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僕は、ちょっとしたきっかけで、自転車に乗る練習をずっとしそびれてしまってた。
18歳になるまで乗れずに、そのことを知られると、きっとバカにされると思って乗れると嘘をつきとおした。
ホントは乗れないって気付かれているのを分かっておきながら。
それで、ものすごく痛い目にあった。

あれは、何だったんだろう…。

昨日は、自分サイドから書いた。
今日は、自分の置かれた環境を意識して書いた。

hikifa.hatenablog.com

自転車はイニシエーション

僕がいた男子社会では自転車を乗りこなせるように練習することは、イニシエーションだった。

イニシエーション【initiation】
ある集団や社会で、正式な成員として承認されること。また、その手続きや儀式。成人式・入社式はその一形態。
goo 辞書 - デジタル大辞泉(小学館)

10歳ごろまでにその困難を経て乗れるようになって、はじめて「一人前の子供」として対等に扱ってもらえる。
共に困難を乗り越えた仲間として。
自転車に乗れることにはそういう価値があった。

このイニシエーションの特徴は、サポーターありきだ。
補助輪を使ってもいいし、親きょうだい、友だちに手伝ってもらうのは普通のこと。
また、いつでも何度でもチャレンジできる。

ただ一つ、やってはいけない暗黙のルールがあった。
それは、乗れるようになったと嘘をついてはいけないということ。
なぜなら、それを許してしまうとイニシエーションの意味がない。
だから、嘘をつこうとする者や、嘘をついた者はずるいやつとみなされ、一人前の子供の一部から時折激しい追及やからかいがある。

乗れるようになった=勇ましさや成長のあかし。
それゆえに、乗れるか乗れないかきくことは、大人社会の履歴書を見せてもうのと同じようなものだった。
その子を測る指標だった。

乗れないということは、体力がない、バランス感覚がない、困難に立ち向かう精神力がないことを想起させる。
歳相応とはいえず幼いということ。
それは、人間的に下ということ。

このような文化というか価値観が支配的な社会だったため、乗ろうとしない人は変った人で、乗れない人は弱い人と見なされた。

乗りたいのに乗れない人には第二ステージが待っている。
自動的に送り込まれる。
恥の気持ちを克服して、乗れない自分を受け入れようとする闘いのことだ。

だいたいの人は乗れるようになるので、それに挑まざるを得ない人は珍しい。
乗れない人にとっては、乗れるように練習を続けることと同じか、それ以上にしんどいものになる。

ただでさえ苦しいのに、なんでまた別の闘いまでと思うものだが、実は名誉挽回のチャンスだ。
第二ステージを経験したことがない人でも、それが受け入れがたいものであることは容易に想像できる。
それゆえに、乗れないことをサラッと言ってのけられる人や、自虐的に笑い飛ばせる人は凄いと思ってもらえる。

逆に、乗れないことを隠そうとしたり、乗れると嘘をつくと、本当にダメなやつだなと烙印を押されてしまう。

比較:乗れないウソつきと、乗れない正直者

本当は自転車に乗れないとほとんどバレているのに、それでも乗れると嘘をついている人のイメージ

器が小さい。
自分の利益優先。
嘘をついてまで人に良く思われたいコスいやつ。
情けない。
つまんないやつ。
そんなに笑われたくなければ、さっさと練習したらいいのにと思われがち。
大きく見せようとして小さく見えてしまう。
信用がおけない。
ビクビクしている。
ついしてしまいがちだが、共感を得にくい。
人の目ばかり気にしている。
暗い。

好かれにくい。
イジラレ、イジメのターゲットにされやすい。
孤立しやすい。

学校生活、放課後がつらい。

自転車に乗れないことを公言し、自虐ネタとして笑い飛ばしている人のイメージ

器がでかい。
サービス精神旺盛。
自分は自分、人にどう思われようが構わないと割り切っている堂々としたやつ。
男らしい。
魅力的なやつ。
無理してやらなくても別にいいやんと思ってもらえる。
小さく見せることで大きく見える。
信用がおける。
イキイキしている。
なかなかできないことで、共感を得やすい。
自分をしっかりもっている。
明るい。

好かれやすい。
放っておいてもらえやすい。
人が集まってきやすい。

学校生活、放課後が楽しい。