読み書き引きこもり

書く練習をかねて。

ディスレクシア(難読症)、僕の場合はこんなふう②

古本屋に売ろうと整理中の大量の本

①のつづき。

hikifa.hatenablog.com

ディスレクシアを疑うまでの過程

ディスレクシアかもしれないと思うようになったのは、3年半ほど前。
45歳のとき。

困難を感じてきたが、長い間、単なる苦手分野や努力不足だと判断していた。
大人になって気づく人の典型だ。

<第一段階>
小学生で、なんか読むのも書くのも遅いなと感じていた。
でも、それほど気にしてなかった。

<第二段階>
受験浪人になり、よく本を読むようになったのだが、遅読に苛立ちが募った。
でも、大学生のうちにそこはクリアできるものと期待した。

<第三段階>
大学4年で進路を決める段になっても、相変わらずだった。
それまで遊び惚けていたのならまだしも、そういうわけじゃなかった。
このままでは進路を決められない、かといってこんな悩みは恥なので誰にも相談できないと悩む。
グズグズしているうちに卒業。

<第四段階>
センスがあると勘違いされ、出版編集の仕事に就くがついて行けず。
やっぱり大学院に行こうと準備を始めたが、相変わらず読み書きに苦労している自分をふりかえって、そっちをどうにかすることが先と思い直す。
引きこもって、読書ざんまいの日々が始まる。

<第五段階>
20代後半、楽に読めるのは10才ぐらいの子が読む絵本であることに気付く。
こんなに出来ないのは小さい頃の読書不足が原因かもしれないが、今からでもたくさん読めば補えるのか、それとも無理なのか、どちらだろう。
ともかく、バカらしく思わないで地道に読み続けようと思った。

<第六段階>
30代後半、いろいろある自分の悩みの根っこは読み書きが苦手なことから来ていると確信する。
これまで思っていたよりもこの問題は大きいが、これさえなんとかなればだいぶと楽になるはず。
もっと本腰を入れて、読み書きに没頭しようと思った。

<第七段階>
45歳、ようやくディスレクシアではないかと疑うようになった。
医療機関がネットで提供している簡易検査で、軽度、もしくはボーダー上にいるらしいと出たため。

※実は、いまだに正式な検査を受けていない。その訳はこちら。

なぜ、こんなに時間がかかったのか

学校の成績がものすごく悪くはなかった

・平均すると高校までの成績は中の下だったと思う(ときどきよい点数をとるが、ものすごく悪い点数はない)。
・入るのが難しい大学ではないが卒業している。
・小学生のとき作文の出来がよくて、よく前で読まされた。
・英検2級。

つまり、ものすごく勉強が出来なかったわけではなかった。
勉強は嫌いだったが、学ぶことが嫌いではなかった。

やれば出来たので、どうしてやらないのか。
どうしてやる気が続かないのだろう、どうしたらやる気がおこるのだろうとずっと悩んでいた。
だが、こんなことはいかにも成績がふるわない人が思いそうなことで、しんどくてもやらないいい訳ではないかとも思っていた。

それなりに楽しもうとした

新しい知識や考え方に触れると、知的好奇心をかき立てられる。
高校卒業までほとんど読まなかったが、本には憧れていた。
だから、長期戦になりそうと思ってからは楽しもうと頭を切り替えた。
そのうち、なんとかなるでいいんじゃないかと。
そうすると、原因は気にならなくなった。

原因探しは面倒くさいと思っていた

こういう、やる気が問題なのか、技術なのか、よく分からないことに首を突っ込んで調べても、結局時間をムダにしたり、ヘンな解釈をしておかしな方向にいってしまうんじゃないか。
そんなふうに考え、原因を探るなんて面倒くさいと思っていた。

仕事や他にやらねばならないことがあるときは、そっちで精一杯だし。
読みたいものや書きたいことは沢山あるし。
原因よりも、今日も読む、明日も読む、明後日も読むと、続けていくほうが確実にゴールにたどり着けそうに思えた。

実際、ディスレクシアと気付くまで、1か月ほどネットを徘徊した。
学習障害もディスレクシアも用語としては知っていたが、頭の片隅にあるぐらいだった。
自分が該当するとはまったく思いもしなかったので、なかなか行きつかなかった。

少しずつ良くなっていった

半年、一年と振り返ってみて、上達したと手ごたえを感じるようなことはほとんどなかった。
もっと長いスパンで、ある日なんとなく、最近よくなったかもと思うかんじ。
それは、たまたま調子がよいだけで、ぬか喜びで終わることが何度もあった。
それでも、よくなっているのは確かで、もう少し頑張れば、もしかすると大化けするんじゃないかと希望が持てた。

理屈っぽくいえば、学習の初期に勾配がゆるやかで、後期に急になる成長曲線を描くはずだと、自分を励ます意味で信じてきた。

原因を追究しようとしたきっかけ

足掛け15年以上、うち本腰を入れて7年かけて、なんとか人並みと言えるぐらいのレベルまで上げてこれた。
そこに至ってふと思った。
それまでは、いつになったらよくなるんだとばかり思っていたが、いざよくなってみると、こんなに時間がかかったことに改めて疑問がわき、原因に目がいくようになった。

量の割に成果が小さくないか?

多少の工夫はしているが、言ってみれば、ただ興味のある本を手あたり次第に読んでいるだけなので、これでは読みの訓練と言えないかもしれない。
書く方は、大学のときに覚えた論述の仕方を基本に、軽重や文体を調整しているだけで、効率のよい書き方を特に研究してきたわけではない。
根詰めてずっとやってる月や年があれば、まったくやってない月や年もある。

とはいえ、かなりの量を積み上げてきた。

最初から最後まで読み切ることを課し、硬軟織り交ぜ多い年で百冊以上を読んできた。
速読本の類は沢山読んでいる。
ブログやメールは練習がてら何度も書き直している。
一日10時間の読書や物書きは普通のこと。
こんなにやってるんだから、もっとよくなってもいいんじゃないか。

やる気の問題とかではないはず?

なんとかしたいと思い始めたころは、発育段階で適当な時期の読書量が足りてないことで起こる、なにか不利な状況に陥っているのではないかと疑った。
小中高の読書経験の少なさのツケが回っているかもしれないと。
あるいは、やる気がない、根性が足りないだけなのかもとも思った。
読み方が間違っているのかもとも。

しかし、ここまでやって不利を覆せないものなのか、まだ読書量が足りないのか。
読み方がおかしいなんてことは、多分ないはず。
気持ちが腐っても、諦めたらおしまいと思ってやり続けてきた自分をヘタレとは言わないだろう。

ディスレクシアなら、遺伝かもしれない

医療機関が提供しているネットの簡易検査で、軽いディスレクシアかボーダーライン上にいる疑いが出た。

ディスレクシアは遺伝性の障害なので、家系を合わせてみるとどうだろうと思った。

家族(親、きょうだい、祖父母)、親戚(父方母方の叔父叔母、いとこ)、さらに親のいとこまで含めて、学校の成績がどんなだったか知る限りにおいて比べてみた。
なぜ、学校の成績かというと、読み書きの能力と学校の成績は大いに関係があると思うから。
そうすると、ほとんどが、平均~とてもよく出来るであり、うちの家系は学校の勉強に向いているように見える。
僕は落ちこぼれスレスレだけれど。

だが、それは横に並べてみて言えることで、自分を起点に遡っていくと気になることがある。

3人きょうだいの父と叔父は、このへんでは一番優秀と言われる高校を出ている(もう一人の叔母は若くして亡くなっている)。
祖父は、大正生まれとしては珍しく大学を出ている(現存する私立大学)。

でも、父は読むのはどうともないようだが、書くのがものすごく下手だ。
祖母はというと、かなり勉強が出来なかったらしい。

もしかすると、祖母は読み書きが苦手だったのではないか?
それが、父と僕に受け継がれているのではないか?
可能性としては考えられる。