読み書き引きこもり

書く練習をかねて。

ひきもりの自分が、なぜ社会や仕事とつながれないのか俯瞰してみた

関連性を鉢植えの花のはらびらに例えたイラスト

世界と自分をつなぐ何か
社会と自分をつなぐ何か
仕事と自分をつなぐ何か
職場や学校の人と自分をつなぐ何か
好きな人と自分をつなぐ何か
家族と自分をつなぐ何か
お金と自分をつなぐ何か

つなぐ何かは一つではないだろう。
誰にでも当てはまるものと、自分特有のものがあるだろう。
どういうわけか自分にはいともカンタンなものと、どうしても難しいものがあったりする。
いくつかの何かが束にならなと、つながれないかもしれない。

世界と自分をつなぐ何かと、仕事と自分をつなぐ何かがリンクしないと生きづらい人がいる。
一方で、そんな関係はどうでもよいという人もいて、互いの意見はすれ違う。

社会と自分をつなぐ何かと、仕事と自分をつなぐ何かは、たいていリンクしている。
だから、誰しも仕事をしてないと社会から遠ざかってしまいがちになる。

好きな人と自分をつなぐ何かと、お金と自分をつなぐ何かはリンクしているものだ。
さらに、職場の人と自分をつなぐ何かともリンクしている。
だから、職場に居場所を見つけられないと満足に稼げず、意中の人をデートに誘うこともままならないかもしれない。

僕らはこういう相関関係の中で生きている。
そして、つながるべきところが、つながらないと、場合によっては身動きがとれなくなる。

つなぐ何かとはなんだろう?
もし、それに気づいたら、どうすれば手に入るのだろう?
探し出すか、訓練によって身に着けるか、誰かに与えてもらうか、誰かをまねるか、思い付きや偶然にゆだねるか、タイミングを図ってそのときを待つか……。

振り返れば、少しひねりをきかせることでしか手に入らなかったように思う。
それなのに、失敗続きのいつものやり方を繰り返してしまいがち。
頼みの綱はキアイだけ。
そんなあやふやなもので乗り切ろうとして、案の定失敗する。
そうなるのは、他にいい手を思いつかないからだが、実は自分にとって未知のことを考えたりやってみるのが億劫なんだろう。
失敗続きでまた傷つくのは辛すぎるというのもあるが、単にめんどくさいのだ。
食わず嫌いである。

それは自分に限ったことではない。
人も組織も慣れ親しんだ手を使いたがる。
たとえうまくいきそうになくても、とうの昔の成功体験でも、それにしがみつこうとする。
失敗を恐れ、常識を気にしつつ、出る杭を打つが、そのくせ一風かわった人の成功体験を聞きたがる。

それでは時間の無駄だ。
いつもは考えないことを考えてみる、しないことをしてみる、そこにヒントがあるような気がする。